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東京高等裁判所 平成5年(行ケ)86号 判決

京都市右京区西院溝崎町21番地

原告

ローム株式会社

代表者代表取締役

佐藤研一郎

訴訟代理人弁理士

吉田研二

金山敏彦

石田純

訴訟復代理人弁理士

在原元司

東京都千代田区霞が関三丁目4番3号

被告

特許庁長官 荒井寿光

指定代理人

東野好孝

井上元廣

幸長保次郎

伊藤三男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、昭和60年審判第16488号事件について、平成5年4月22日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和54年9月26日にした特許出願(特願昭54-123556号)を原出願とする分割出願として、昭和58年1月10日、名称を「サーマルプリンタヘッド」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(特願昭58-2587号)が、昭和60年7月16日に拒絶査定を受けたので、同年8月9日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を同年審判第16488号事件として審理し、本願につき昭和63年2月19日に出願公告をした(特公昭63-7953号)が、特許異議の申立てがあり、原告が特許法(平成6年法律第116号による改正前のもの、以下同じ。)64条1項に基づく明細書の補正(以下「本件補正」という。)をしたところ、特許庁は、平成3年3月22日、本件補正を却下する旨の決定をするとともに、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年6月10日、原告に送達された。

原告は、同年6月21日、同審決に対する審決取消訴訟を東京高等裁判所に提起し、同裁判所は、これを平成3年(行ケ)第131号事件として審理したうえ、平成4年12月16日、本件補正を却下した補正却下決定は違法であり、同決定に基づき本願発明の要旨を公告時明細書記載のものと認定した審決も違法として取り消されるべきであるとして、審決取消請求を認容する判決(以下「原判決」という。)をし、同判決は確定した。

特許庁は、これを受けて、上記審判請求事件につき更に審理したうえ、平成5年4月22日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年6月21日、原告に送達された。

2  本願発明の要旨

基板の表面に、幅を2.5mm以下とし、縦方向の長さを前記幅より長い縦長とされてあって、ひとつの山状をなすガラスグレーズ層を、ペーストの印刷焼成によって設け、前記ガラスグレーズ層の表面に、このガラスグレーズ層の幅より幅の挟い抵抗発熱素子を形成してなるサーマルプリンタヘッド。

3  審決の理由の要点

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明は、本願の原出願日前の出願であって、その出願後に出願公開された特願昭53-48882号(特開昭54-140547号公報)の願書に最初に添付した明細書及び図面(以下「先願明細書」という。)に記載された発明(以下「先願発明」という。)と同一であるから、特許法29条の2の規定により特許を受けることができないとした。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

1  審決の理由中、本願発明の要旨、先願明細書の記載事項、本願発明と先願発明との一致点・相違点の各認定は認める。

本願発明と先願発明の相違点についての判断のうち、「先願明細書のガラスグレーズ層の幅が1mm~2mmの数値範囲は、本願発明のそれの2.5mm以下に含まれており、この値を構成要素とする限り、ガラスグレーズ層は、左右周縁部に生ずる盛り上がりが互いに合体・一体化させ、もって単なるひとつの山状をなすような形状を形成し、その左右周縁には何ら盛り上がり部を生ずることはなくなり、したがってプリントの際、邪魔になることはない、という効果を奏するものである。したがって、本願発明は、先願明細書に記載のものと実質的な差異がなく、両者は同一というべきである。」(審決書9頁3~14行)との部分を争い、その余は認める。

2  審決は、本願発明の構成要件であるガラスグレーズ層が「ひとつの山状をなす」点につき、先願明細書にはそれを明示する記載も示唆する記載もないにもかかわらず、これが記載されていると誤認し、この誤認に基づき両発明は同一であるとの誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。

本願の審査経過から明らかなように、「ひとつの山状をなす」との要件は、本願発明の特許請求の範囲を減縮するために追加された、ガラスグレーズ層の形状についての構成要件である。すなわち、昭和63年2月19日付けで出願公告された本願発明に対し、昭和63年5月18日付けの特許異議の申立てがされ、ここで引用された先願明細書の開示内容と本願発明との差異を明確にし、本願発明の意図しない先願発明の内容を除外するために、昭和63年11月26日付けで手続補正がされたのである。

この補正は、本願発明の技術思想を明確に規定するために、「幅を2.5mm以下とし」たのみでは本願発明の構成に欠くことができない事項を記載したことにはならないとの観点から、「ひとつの山状をなす」を新たな構成要件として追加記載し、これによって元来本願発明が意図しない、すなわち先願発明に記載された内容を除外するように本願発明の技術的範囲を減縮したものである。

前記審決取消訴訟の判決(原判決)が教示するところは、「ひとつの山状をなす」という本願発明の重要な構成要件は、その傾斜度合の緩急は別として、ガラスグレーズ層の中央部付近が両端部に比較して盛り上がった形状であるということにあり、本願発明の技術的思想は、ガラスグレーズ層の両端に必然的に生ずる盛り上がり部分を合体させることによって両端部から中央が盛り上がったガラスグレーズ層を得ることにある。

したがって、いかなる意味においても、本願発明でいうガラスグレーズ層は台形などで示される表面が平坦な形状は含んでいないことは明らかである。

3  これに対し、先願明細書には、ガラスグレーズ層の形状が山状であることを示しあるいは示唆する文言は全く存在せず、それどころか、「本発明では第2図に示すものと同様にガラス層を必要とする領域部分にのみ厚膜技術により形成することにより均一な膜厚のガラス層の形成を容易にし、これと同時に従来の問題点を解消し量産性が高く高速記録の可能な薄膜型サーマルヘッドを得るものである。」(甲第2号証3頁左下欄13~18行)として、先願発明のガラスグレーズ層の膜厚が均一なものであることが明示されている。

にもかかわらず、審決は、ガラスグレーズ層はその幅が2.5mm以下であるものは必ず山状になることを前提に、先願発明のガラスグレーズ層もその幅が1mm~2mmであることを唯一の根拠として、これも山状になると認定した。

しかし、ガラスグレーズ層は、幅が2.5mm以下であっても、必ずしも山状になるとは限らず、山状になるものもあればならないものもあり、いずれになるかは幅以外の条件によって決定されるものである。

ちなみに、先願明細書(甲第2号証)には、先願発明のガラスグレーズ層として、幅が1mm~2mm、厚さが10μm~20μmとの条件が開示されている(同号証3頁右下欄6~9行)ので、原告において、幅が1mmと2mmのもので、厚さがそれぞれ10μmと20μmのものを組み合わせて4通りの実験条件を選択し、これ以外の条件についてはガラスグレーズ層を形成する際に当業者が通常使用する条件を採用して、ガラスグレーズ層を形成する実験をしたところ、いずれのものにおいても、ガラスグレーズ層の頂部がほぼ平らあるいは若干凹型の台形断面となった。一方、原告製品の、幅が1mmで厚さが40μmのものについて実験した結果は、「ひとつの山状」を呈しており、上記4通りのものと形状が明らかに異なることが判明した。

そうとすれば、先願発明のガラスグレーズ層もその幅が本願発明と同様2.5mm以下(1mm~2mm)であることを唯一の根拠として、これも山状になると認定した審決は、前提となる技術の解釈を誤っていることが明らかであり、これに基づく認定が誤りであることも明らかであるといわなければならない。

第4  被告の反論の要点

1  審決の認定・判断は正当であり、原告主張の審決取消事由は理由がない。

2  本願発明の構成要件である、ガラスグレーズ層が「ひとつの山状」となるのは、本願明細書の記載によれば、「このグレーズ層の幅を2.5mm以下とすると、そのグレーズ層の左右周縁に生ずる盛り上がり部分が互いに合体して一体となつてしまい、左右周縁の盛り上がり部分はなくなつて、幅方向の中央で盛り上がるような単なるひとつの山状となる。」(甲第3号証2欄9~14行、甲第4号証補正の内容(1))というものである。本願発明の実施例においても、同様の趣旨の説明がなされている(甲第3号証3欄2~7行)。

このように、本願発明のガラスグレーズ層は、その幅を2.5mm以下とすることによって、その形状は「ひとつの山状」となるというものである。

一方、このような本願発明の「ひとつの山状」であるガラスグレーズ層の形状は、公告時明細書に記載された従来技術の課題であり、該当部分の記載から本願発明の技術的課題であると認められる左右周縁の盛り上がりをなくした「極力平坦な」ガラスグレーズ層についてもいえる事柄であるから、結局、原告が本願発明によって達成しようとした「極力平坦な」ガラスグレーズ層とは、極力平坦でありながら、なお、その中央部で凸形形状を呈するもの、すなわち、極めて緩やかな傾斜を有する凸形形状となるもの(「ひとつの山状」のもの)であると解される。

また、本願は、原出願の分割出願(分割の時点は、原出願の公告の時点である昭和57年3月6日より後の昭和58年1月10日である。)であるから、分割時に加入補正された、「このグレーズ層の幅を2.5mm以下とすると、そのグレーズ層の左右周縁に生ずる盛り上がり部分が互いに合体して一体となつてしまい、左右周縁の盛り上がり部分はなくなつて、単なるひとつの山状となる。」(乙第5号証1頁右欄14~19行)における「ひとつの山状」に関する技術事項は、分割が適法になされたものとすれば、原出願の開示の範囲を超えるものではありえない。

したがって、前記のような本願発明のガラスグレーズ層の「極めて緩やかな傾斜を有する凸形形状」である「ひとつの山状」は、原出願の出願当初の明細書(乙第4号証・原出願の公開公報参照。なお、乙第6号証・発明出願の公告公報にも同様の記載がある。)において、「この(被告注・左右周縁の)盛り上がりは、印刷部分の幅を2.5mm以下にすると、ほとんど生じないので、グレーズ層2の幅をこの程度にすればその左右周縁は中央の平坦部と同じ厚みとなる」(乙第4号証1頁右下欄18行~2頁左上欄2行、乙第6号証2欄15~19行)と説明されている当該ガラスグレーズ層の形状と、その技術的意義の点で実質異なるものではないものと解される。

すなわち、これら両ガラスグレーズ層の形状が仮に幾分か相違していたとしても、この相違により、抵抗発熱素子と感熱紙との良好な接触及び鮮明なプリントを可能にするとの効果の点で、本願発明と原出願に含まれていた発明との間に有意の相違が生ずるものではなく、この意味において、前記のような本願発明のガラスグレーズ層の形状(「極めて緩やかな傾斜を有する凸形形状」である「ひとつの山状」)も、原出願の明細書において説明されている前記のようなガラスグレーズ層の形状(「左右周縁は中央の平坦部と同じ厚みとなる」形状)と同程度に、なお、その中央部に平坦な部分を留めたものであると解される。

3  次に、先願発明の「薄膜型サーマルヘッド」は、先願明細書の記載によれば、従来のものが「印字時に不均一な接触となり、印字むらが生じやすいなどの問題が生じる」(甲第2号証2頁右上欄9~11行)ことを解決すべき問題点(課題)とし、絶縁性基板上に形成した帯状の「ガラス層11の幅は1mm~2mm程度で良い」(同3頁右下欄5~6行)との構成を採用するものである。そして、その結果、「ガラス層11が薄くても充分均一なガラス層11を形成することができ」(同3頁右下欄6~8行)、ガラス層11上に形成される薄膜抵抗体12(本願発明の抵抗発熱素子に相当)上に形成される「発熱部Aが凸形状となるとともに、ボンディング用の第2電極14がガラス層11上より後退して形成されているため、発熱部Aと感熱紙との接触が良好となり」(同4頁右上欄16~19行及び図面第3図参照)という効果を奏するものである。

すなわち、先願発明は、薄くて均一な膜厚の1mm~2mmの幅のガラス層(ガラスグレーズ層)の凸形状を活かして、ヘッドと感熱紙との良好な接触を得たものである。

そして、ガラスグレーズ層の形成時における液状体のガラス層には、表面張力が作用することは明らかであるから、先願明細書記載のようなガラスグレーズ層は、「均一な膜厚」とはいえ、表面張力の作用からすれば、その左右周縁が丸く欠け落ち、その結果として中央部において盛り上がりが生ずる(「ひとつの山状」になる)ものと考えられるものである。

液状体(ペースト)の被膜の形成においてば、その幅を小さくすると、左右周縁の盛り上がり部分がなくなり、中央部が凸となり端縁部が中央部より低くなる(「ひとつの山状」になる)物理現象は、特開昭50-67310号公報(乙第3号証)、特にその2頁右上欄16行~左下欄5行及び図面第2図に、「中央部が凸となり」とされながらも、なお、その中央部付近に平坦な部分が残されてた被膜の断面形状が示されているように、本願出願前に知られていたことであり、これは表面張力による物理現象である。

先願発明のガラスグレーズ層が、前記のとおり、「ひとつの山状」であるということは、その幅1mm~2mmは、上記物理現象で説明される左右周縁に盛り上がり部分を形成するほどの幅とはいえない小さい幅ということができる。

したがって、先願発明におけるガラスグレーズ層も、その幅を2.5mm以下である1mm~2mmとすることによって、その形状は「ひとつの山状」となるものであるといえるから、本願発明は、先願発明と実質的な差異がなく、両者は同一というべきである。

なお、本願発明において、「ひとつの山状」のガラスグレーズ層を得るための条件として、前記幅以外の材料、焼成温度などについては、何ら詳細な説明がなされていないことからすると、これらの条件については、当該技術分野においてごく普通に採用されている条件にすぎないものと推測される。そして、この事情は、先願発明においても同様と考えられる。

このように、両発明において、ガラスグレーズ層の生成に係る材料、焼成温度などの条件に特別の限定がないことからしても、そのような条件下で生成される両発明のガラスグレーズ層の形状につき、「変わりはない」とした審決の判断に誤りはない。

第5  証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立については、いずれも当事者間に争いがない。

第6  当裁判所の判断

1  本願発明のガラスグレーズ層の形状について

本願明細書(甲第3号証)には、ガラスグレーズ層の形状に関して、以下の記載がある。

「基板の表面に、幅を2.5mm以下とし、縦方向の長さを前記幅より長い縦長とされてあって、ひとつの山状をなすガラスグレーズ層を、ペーストの印刷焼成によつて設け」(同号証特許請求の範囲の記載、甲第4号証・昭和63年11月26日付け手続補正書補正の内容(2))

「前記グレーズ層の形成は厚膜印刷と同じ印刷法を使用するのが普通であるが、このグレーズ層の表面は極力平坦であることが必要である。ところが前述したように基板の表面にグレーズ層を形成するべく、そのペーストを基板表面に印刷して焼成すると、焼成後周縁が盛り上がり、中央の平坦部よりも10~15μ程厚くなることが知られている。このような盛り上がりが存在したままであると、プリントする際、この盛り上がり部分が邪魔して抵抗発熱素子と感熱紙とが接触しにくくなつて鮮明なプリントができなくなる。・・・この発明はプリントする際に邪魔となるグレーズ層の盛り上がり部のないサーマルプリンタヘツドを提供することを目的とする。」(甲第3号証1欄14行~2欄4行)

「この発明はグレーズ層として縦長とし、その幅を2.5mm以下となるように構成したことを特徴とする。前記のようにグレーズ層を印刷焼成したとき、その周縁に盛り上がり部が生ずるのであるが、このグレーズ層の幅を2.5mm以下とすると、そのグレーズ層の左右周縁に生ずる盛り上がり部分が互いに合体して一体となつてしまい、左右周縁の盛り上がり部分はなくなつて、幅方向の中央で盛り上がるような単なるひとつの山状となる。このように形成されたグレーズ層の表面に抵抗発熱素子を設置すれば、既述のように盛り上がり部がプリントの際の邪魔になるようなことはなくなるのである。」(同号証2欄5~17行、甲第4号証補正の内容(1))

「グレーズ層2はその幅を2.5mm以下としてある。このようにグレーズ層2をその幅が2.5mm以下となるように設置すれば、その左右周縁には何ら盛り上がり部が生じることはなくなり、したがつてプリントの際、邪魔になることはない。」(甲第3号証3欄2~7行)

「この発明によれば、グレーズ層の形成の際に生ずる盛り上がり部分をその左右周縁において、存在しないグレーズ層を備えたサーマルプリンタヘツドが得られる効果を奏する。」(同号証4欄26~30行)

また、本願発明のガラスグレーズ層の幅方向の形状に関して、原告は、昭和62年7月2日付け特許庁審判官の尋問書(乙第1号証)の「原出願の明細書詳細な説明の項における「グレーズ層2の幅をこの程度にすればその左右周縁は中央の平坦部と同じ厚みとなるが、グレーズ層2の長さを2.5mm以下にすることができないと、その上下の周縁に図のように盛り上がり部2Aを形成されるようになる。」との記載は、グレーズ層の幅及び高さの関係を示すものと思われるが具体的にはどのような盛り上がりが生じるものか参考図を添付して明確に説明されたい。」との要求に対し、同年9月25日付け回答書(乙第2号証)において、「ガラスグレーズ層の幅(長さ)と表面形状との関係は、幅が十分に広いときは、中央は平坦な表面となり、その両端部が盛り上がった形状となる。この幅を次第に狭くしていくと、やがて両端の盛り上がり部分の裾が接近していき、両盛り上がり部分が中央の平坦部を両側からはさむような形状となる。さらに幅をせばめていくと、両端の盛り上がり部分はやがて一体となり、中央が盛り上がった高原状の表面形状を形成する。そのときの幅が2.5mmである。以上の現象を図示したのが添付した参考図である。図においてW1~W3はガラスグレーズ層の幅を、dは盛り上がり部分Mと中央の平坦部との段差を示す。ガラスグレーズ層の幅を図の(3)の状態から(1)の状態に徐々に狭くしていくと、両盛り上がり部分は次第に接近していく。そして最後には(1)に示すように両盛り上がり部分は合体する。このときの幅W1が2.5mmである。」と記載し、他の処理条件の如何に触れず、ガラスグレーズ層の幅が2.5mm以下であれば、中央が盛り上がった高原状の表面形状が形成される旨説明し、参考図の(1)において、幅方向の両端部に盛り上がり部分がなく中央が盛り上がった円弧状ないし半円状のガラスグレーズ層の形状を模式的に図示していることが認められる。

本願発明のガラスグレーズ層の幅方向の形状に関する以上の記載からすると、本願発明のガラスグレーズ層は、その幅が2.5mm以下であり、プリントに際して障害となる左右周縁に盛り上がりのない「極力平坦」な形状であることが必要であるが、同時に、この「ガラスグレーズ層を、ペーストの印刷焼成によって設け」るに当たり、その「幅を2.5mm以下」とすれば、そのガラスグレーズ層の幅方向の左右周縁(両端部)に生じる盛り上がり部分が互いに合体して一体となってしまい、左右周縁(両端部)の盛り上がり部分はなくなって、その断面形状は単なるひとつの山状、すなわち、幅方向の中央で盛り上がるような形状となるものと説明されていることが認められる。

2  先願発明のガラス層の形状について

先願明細書(甲第2号証)には、ガラス層(本願発明のガラスグレーズ層に相当)の形状に関して、以下の記載がある。

「絶縁性基板上に形成した帯状のガラス層」(同号証特許請求の範囲の記載)

「従来、薄膜型サーマルヘッドは第1図に示すような構成であり、表面を研摩して平面度を出したAe2O3板上の全面にガラス層を60μ~100μ形成したものを基板として用い」(同2頁左上欄2~5行)

「しかしながら、このガラス層2は逆に次に述べるような問題点を有し、薄膜型サーマルヘッドの量産性を劣化させる要因となっている。(1)ガラス層2はAe2O3基板1の片側面全面に60μ~100μの厚さで形成しているため、焼成時にAe2O3基板1にそりやうねりが生じ・・・印字時に不均一な接触となり、印字むらが生じやすいなどの問題が生じる。」(同2頁左上欄19行~右上欄11行)

「第1図に示す従来のサーマルヘッドにおいて、ガラス層の厚さが60μ~100μと厚く形成されているのは、ファクシミリ用ヘッドのように大きな基板全面に薄く均一に形成することができないからであり、薄く形成しようとするとガラス層の厚さのばらつきにより印字濃度のばらつきが生じるためである。本発明では第2図に示すものと同様にガラス層を必要とする領域部分にのみ厚膜技術により形成することにより均一な厚膜のガラス層の形成を容易にし、これと同時に従来の問題点を解消し量産性が高く高速記録の可能な薄膜型サーマルヘッドを得るものである。」(同3頁左下欄6~18行)

「第3図に本発明の一実施例による薄膜型サーマルヘッドを示しており、絶縁性のAe2O3基板1上の薄膜抵抗体を形成しようとする領域部分のみにガラス層11が帯状に形成され、そしてそのガラス層11を横断してAe2O3基板1およびそのガラス層11上に複数本の薄膜抵抗体12が配列されて形成されている。この場合、ガラス層11の幅は1mm~2mm程度で良いためガラス層11が薄くても充分均一なガラス層11を形成することができる。なお、このガラス層11の厚さは10μ~20μがよく、あまり厚くすると、パターン形成が困難となる問題が生じる。」(同3頁左下欄19行~右下欄10行)

「ガラス層11は狭い幅で帯状に形成しているため、焼成した場合でもAe2O3基板1にそりやうねりが生じなく、パターン形成を容易にかつ正確に行なうことができ、印字むらをなくすことができるとともに、安価とすることができる。」(同4頁左上欄13~18行)

先願発明のガラス層の形状に関する以上の記載及びその図面第1~第3図の各サーマルヘッドの断面図によれば、先願発明のガラス層は、薄膜の、帯状のものであり、その幅が1mm~2mm程度の幅の狭いものであること、また、従来のサーマルヘッドにおいてガラス層の厚さが60μm~100μmと厚く形成され、大きな基板全面にガラス層を形成する場合にガラス層の厚さのばらつき(凹凸)が生じ印字濃度のばらつきが生じるという問題等を解決するため、ガラス層を必要とする領域部分にのみ厚膜技術を用いて、ガラス層を厚さが10μm~20μm程度の、上記の幅の狭い帯状のものにすることによって、厚さのばらつきのない充分均一な膜厚のものを形成するようにしたものであることが認められる。

3  本願発明と先願発明の実質的同一性について

本願発明のガラスグレーズ層は、その幅が2.5mm以下であり、プリントに際して障害となる左右周縁に盛り上がりのない「極力平坦」な形状であることが必要であるが、同時に、この「ガラスグレーズ層を、ペーストの印刷焼成によって設け」るに当たり、その「幅を2.5mm以下」とすれば、そのガラスグレーズ層の幅方向の左右周縁(両端部)に生じる盛り上がり部分が互いに合体して一体となってしまい、左右周縁(両端部)の盛り上がり部分はなくなって、その断面形状は単なるひとつの山状、すなわち幅方向の中央で盛り上がるような形状となるものとされていることは、前示のとおりである。

上記「ひとつの山状をなす」点に関連して、特開昭50-67310号公報(乙第3号証)には、固形分と有機溶剤と結合剤を混合した絶縁ペーストをセラミックシートの上に印刷成形する技術に関してではあるが、「本発明者は、上記グリーンシート1上の絶縁ペースト2の状態を更に詳細に調べるため、該絶縁ペースト2の幅寸法を種々変えて、各幅寸法毎にその形成断面を顕微鏡により観察する実験を行なつた。・・・上記実験の結果、次の〈1〉~〈4〉の点が明らかとなつた。〈1〉上記絶縁ペースト2の中央部の高さと両端縁部の高さとの差Δhは、第2図(A)、(B)に示す如く、その幅寸法が大きいほど大であり・・・〈2〉しかし、上記絶縁ペースト2は、その幅寸法を小さくして例えば0.9mm以下にすると・・・中央部が凸となり端縁部では中央部より低くなる」(同号証2頁左上欄18行~左下欄5行)との記載があり、上記ペーストによる被膜の形成においては、その幅を小さくすると、左右周縁の盛り上がり部分はなくなり、中央部が凸となり、端縁部が中央部より低くなる、すなわちペーストはその断面がひとつの山状を形成することが示されているものと認めることができる。

上記記載及び同図面第2図(A)、(B)、(C)と、原告の前記特許庁審判官に対する回答書(乙第2号証)における「ガラスグレーズ層の幅(長さ)と表面形状との関係は、幅が十分に広いときは、中央は平坦な表面となり、その両端部が盛り上がった形状となる。この幅を次第に狭くしていくと、やがて両端の盛り上がり部分の裾が接近していき、両盛り上がり部分が中央の平坦部を両側からはさむような形状となる。さらに幅をせばめていくと、両端の盛り上がり部分はやがて一体となり、中央が盛り上がった高原状の表面形状を形成する。そのときの幅が2.5mmである。」との記載及び添付参考図(3)、(2)、(1)とを対比すると、両者は同一範疇に属する同じ物理現象を説明しているものと解される。したがって、ペースト又はガラスグレーズ層の中央が盛り上がった(山状になった)状態は、幅を一定の長さ以下に狭めることを必須の条件として作り出されるものであり、この条件の下で、断面がひとつの山状となる結果が生ずるものと認められる。

以上の事実を前提とすれば、先願発明のガラス層はその幅が1mm~2mmであって、本願発明のガラスグレーズ層の幅を2.5mm以下とするという構成と重複するものであるから、その形状が山状となる場合があると認められ、この場合において、本願発明は先願発明と実質的に同一となることは明らかである。

すなわち、本願発明のガラスグレーズ層が「極力平坦であること」と先願発明のガラス層の膜厚が充分均一であることとは、ほぼ等しいことを述べているものと解することができ、しかも、本願発明において補正した「ひとつの山状をなす」という要件が、前記のとおり幅を2.5mm以下に狭めることの結果として生じ、幅が1mm~2mmの先願発明のガラス層も「ひとつの山状をなす」場合があることを否定できないから、この場合には、本願発明と先願発明とを区別することはできず、したがって、先願明細書に先願発明のガラス層の形状が「ひとつの山状をなす」点を示唆する具体的記載がないことのみをもって、本願発明及び先願発明のガラスグレーズ層の形状が実質的に異なるものであるとすることはできない。

原告は、ガラスグレーズ層の形状に関する独自の実験結果に基づく主張をしているが、その限定した条件設定は、実施例ないし製品化したものに基づくものにすぎないから、原告の主張は、本願発明の要旨に基づく主張とは認められず、これをもって、幅が1mm~2mmの先願発明のガラス層と区別する理由となるものとは認められず、採用の限りではない。

したがって、「本発明は、先願明細書に記載のものと実質的な差異はなく、両者は同一というべきである」とした審決の判断に誤りはない。

2  以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由は理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 芝田俊文 裁判官 清水節)

昭和60年審判第16488号

審決

京都市右京区西院溝崎町21番地

請求人 ローム株式会社

昭和58年特許願第2587号「サーマルプリンタヘッド」拒絶査定に対する審判事件〔(昭和63年2月19日出願公告、特公昭63-7953)、特許請求の範囲に記載された発明の数(1)〕についてされた平成3年3月22日付け審決に対し東京高等裁判所において審決取消しの判決(平成3年(行ケ)第131号、平成4年12月16日判決言渡〕があったので、次のとおり審決する。

結論

本件審決の請求は、成り立たない。

理由

Ⅰ.本願は、昭和54年9月26日に出願された特願昭54-123556の特許出願の一部を特許法第44条第1項の規定により分割して新たな特許出願として昭和58年1月10日に出願されたものであって、その発明の要旨は、出願公告後の昭和63年11月26日付けの手続補正書によって補正された明細書および図面の記載からみて、その特許請求の範囲に記載された次のとおりのものと認める。

「基板の表面に、幅を2.5mm以下とし、縦方向の長さを前記幅より長い縦長とされてあって、ひとつの山状をなすガラスグレーズ層を、ペーストの印刷焼成によって設け、前記ガラスグレーズ層の表面に、このガラスグレーズ層の幅より幅の挾い抵抗発熱素子を形成してなるサーマルブリンタヘッド。」

Ⅱ.これに対して、特許異議申立人田中恵は、甲第1号証として、本願の出願日前の出願であって、その出願後に出願公開された特願昭53-48882号(特開昭54-140547号公報参照)の願書に最初に添付した明細書および図面(以下、「先願明細書」という。)を提示し、本願発明は先願明細書に記載された発明と実質上同一であるから、特許法第29条の2の規定に該当し、拒絶されるべきものであると主張している。

Ⅲ.そこで、上記異議申立人の主張について検討する。

先願明細書には、絶縁性のAl2O3基板1上の薄膜抵抗体を形成しようとする領域部分のみにガラス層11が帯状に形成され、該ガラス層11を横断してAl2O3基板1およびそのガラス層11上に複数本の薄膜抵抗体12が配列されて形成され、この場合、ガラス層11の幅が1mm~2mm程度、また基板上に設ける帯状のガラス層を厚膜技術(ガラスペーストを印刷し、焼付ける技術)により形成する旨、さらに第3図に発熱部A(一対の電極13、13間に位置する薄膜抵抗体の部分)の幅をガラス層11の幅より挾くする旨のサーマルヘッドが開示されている。

そして、本願発明と先願明細書に記載されたものとを対比すると、両者は、基板の表面に、縦長のガラスグレーズ層を、ペーストの印刷焼成によって設け、前記ガラスグレーズ層の表面に、このガラスグレーズ層の幅より幅の挾い抵抗発熱素子を形成したサーマルブリンタヘッドの基本的構成で一致し、縦長のガラスグレーズが、本願のものが、幅を2.5mm以下とし、ひとつの山状をなしているのに対し、先願明細書のそれは、1mm~2mmと限定している点で相違している。

上記相違点について検討する。

本願発明は、出願公告後の昭和63年11月26日付けの手続補正書により、特許請求の範囲のガラスグレーズ層を「ひとつの山状をなす」と補正するとともに、それに対応して詳細な説明の項において「幅方向の中央で盛り上がるような単なるひとつの山状となる。」と補正している。

上記手続補正について、当審では平成3年3月22日付けで補正却下する旨の決定をするとともに、「本件審判請求は成りたたない」との審決をしたところ、請求人は、補正却下の決定は違法であり、同却下決定を前提とした本件審決には、本願発明の要旨認定に違法があるとして、東京高裁に出訴し、平成4年12月16日に判決言渡しがあった。

その判決の理由において、公告時明細書には、ガラスグレーズ層の幅を2.5mm以下とする構成によって、左右周縁部に生ずる盛り上がりを互いに合体・一体化させ、もって単なるひとつの山状をなすような形状のガラスグレーズ層を形成することを構成要素とすることが記載されている反面、「単なるひとつの山状」の具体的形状、ガラスグレーズ層の表面に対する盛り上がりの有無及び程度等については何ら記載がないことが認められる。

そこで、「単なるひとつの山状」の意味するところを検討すると、「単なるひとつの山状」となるのは、ガラスグレーズ層の左右周縁の盛り上がりが一体化した結果であるというのであるから、上記山状とは、ガラスグレーズ層の幅方向の断面形状を指すことは明らかであり、また、その山状の形成が「左右周縁部が互いに合体」した結果であるというのであるから、通常の場合、「幅方向の中央で」合体するであろうことは当然に推測されるところである。そして、これら左右周縁部の幅方向中央での合体の結果、ガラスグレーズ層の断面形状が「ひとつの山状」をなすというのであるから、ガラスグレーズ層の中央部付近が両端部に比較して盛り上がった形状となることは、「山状」の通常の字義からして認められるところといってよい。

そうすると、公告時明細書には、「ガラスグレーズ層の幅を2.5mm以下とすることによって、ガラスグレーズ層の左右周縁部を幅方向の中央で合体させ、両端部よりも中央で盛り上がった形状となるガラスグレーズ層」についての記載があるものと認めることができる。」と判示されている。

また、「確かに、本願発明の公告時明細書には、前記のとおり、ガラスグレーズ層の中央部での盛り上がりの有無及び程度について明示の記載がなく、したがって、ブリンタヘッドの凸形形状によって、感熱紙に対し傾斜接触しても良好なプリントが得られるという効果については明示の記載がないことは被告主張のとおりである。

しかしながら、公告時明細書の記載を合理的に解釈すれば、本願発明のガラスグレーズ層の形状が、極めて緩やかな傾斜を有しつつも幅方向の中央で盛り上がるような凸形形状を意味すること前叙のとおりである以上、このプリンタヘッドの凸形形状により、ヘッドが傾斜して感熱紙に当ったときにも、ヘッドが真の意味で平担である場合に比較して、より確実な感熱紙との接触が得られる効果を奏することは、巽豊作成の「KH309評価報告」(甲第10号証)の実験結果の記載及び技術常識に照らして明らかである。そうすれば、この効果は、公告時明細書の特許請求の範囲に示された本願発明が有する効果というべきであり、それは、公告時明細書に記載された本願発明の左右周縁の盛り上がり部をなくし、抵抗発熱素子と感熱紙との良好な接触及び鮮明なプリントを可能にするとの効果の一態様として、公告時明細書から、当業者が当然に理解できるものと考えられる。」とも判示されている。

してみると、先願明細書のガラスグレーズ層の幅が1mm~2mmの数値範囲は、本願発明のそれの2.5mm以下に含まれており、この値を構成要素とする限り、ガラスグレーズ層は、左右周縁部に生ずる盛り上がりが互いに合体・一体化させ、もって単なるひとつの山状をなすような形状を形成し、その左右周縁には何ら盛り上がり部を生ずることはなくなり、したがってプリントの際、邪魔になることはない、という効果を奏するものである。

しだがって、本願発明は、先願明細書に記載のものと実質的な差異がなく、両者は同一というべきである。

Ⅳ.以上のとおりであるから、本願発明は、先願明細書に記載された発明と同一であり、しかも、本願の発明者が上記先願明細書に記載された発明の発明者と同一であるとも、また、本願の出願の時に、その出願人が上記他の出願人と同一であるとも認められないので、本願発明は、特許法第29条の2の規定により特許を受けることができない。

よって、結論のとおり審決する。

平成5年4月22日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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